しゅふときどきプチオタ

子育てベースでときどきプチオタネタを投入します。

祖父の話

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先日、90歳の祖父が亡くなりました。

肺炎で運ばれたようですが、コロナではなかったため自宅に戻り葬儀まで自宅で過ごしたそうです。

葬儀に私は行きませんでした。

子連れで行くにも私ひとりで行くにもコロナの不安があるので行かないという選択をしました。しかし、葬儀に行かなかった理由はコロナともう1つあります。

祖父との思い出が多すぎたからです。

母から「祖父が運ばれたからもう無理だろう」というようなメールをもらったとき、涙が止まりませんでした。このときはまだ確定していなかったのですがね。

 

祖父はここ10年くらい入退院を繰り返していました。

やれ心臓だ、脳だと大事なところを何度も手術していて、そのたびに「もうだめだ、もう無理だ」と言われながら何度も生還していました。

しかし、会うたびに年齢も重ね、弱弱しくなっていく祖父を見て、「もうだめだ、もう無理だ」というのも冗談ではないと思え、私自身も「次は会えないかもしれない」「もう会えなくなるかもしれない」と気持ちを引き締めて会うようにしていました。

とはいえ、祖父の家は遠方…という程遠くないのですが、ふらっと行ける距離ではないし、行くなら子連れで行くことになります。

祖父は急に大声を出したり、細かいことを注意したりする性格で、昔からそうだったのですが、最近は老化のためかわざとなのかわからない行動が多くありました。

子どもの頃から祖父を見てきている私からしたらただの老化した祖父…なのですが、普段祖父と接していない子どもらは祖父を怖がると思います。

それも含めて祖父なのですが、中々伝わりにくい部分が多いので、子どもらに祖父を嫌いになって欲しくないということもあって、子連れで行くことに少々抵抗がありました。

ならば子連れではなく私ひとりで会いに行くとすれば、もう少し頻繁に行けたのかもしれませんが、それはそれで抵抗がありました。

 

小学生の頃は、長期休みになれば必ず祖父の家に行っていました。従姉妹も祖父の家に来てみんなで遊んで…それが夏休みや冬休みの主な思い出です。

中学生になると部活も始まり、長期休みでも祖父の家に行けないことも多くありました。この頃は主に夏休みに行ければいいという感じでした。

高校生になると、部活もある上にすぐ受験に向けて準備しなければならず全く遊びに行くことはありませんでしたが、受験する大学が祖父の家と同じ県内だったため、受験の日に祖父の家に泊まりました。

祖父母は私に会うのが久しぶりだったので、夕食は親族たちと盛大にやる予定だったようですが、私は受験を失敗したと思い大いに沈みました。そんな私の様子を見て察したのか何もなかったです。

しかし、撃沈したと思った大学に合格して、祖父が住んでいる県にある大学に通うことになりました。

とはいえ大学が祖父の家から近いわけではないし、大学生なので祖父の家に遊びに行くということはありませんでした。

 

一方、小学校の頃から細々と続いていたのは文通です。

小学校の頃はそれは頻繁に出しましたが、それ以降は年に数回出しました。

出せばすぐに返信が来ます。よくわからない写真や、新聞の切り抜き、親族の近況の書かれた長文の手紙がよく届きました。

しかし、祖父母は私を気にかけてくれていたので、年齢が上がるにつれて鬱陶しいなと思うようになり、距離を置きたいと思うようになりました。

私の祖父母に対する気持ちは中学生の頃で止まっているのかもしれません。

私が会いに行くと、子どものように扱われてしまうので、それが自分の実年齢とかけ離れていて納得がいかず、大学以降自力で祖父母に会いに行けるようになってからも、少し距離を置いていました。

 

しかし、大学生の頃転機がありました。

祖父が大きな手術をすることになり、このときはじめて「もうだめかもしれない」と言われました。

奇跡的に助かりましたが、それまで元気で天寿を全うするのだろうと思っていた祖父が倒れて入院するという事実に「このまま会わなかったら絶対に後悔する」と思い、親族たちと都合をつけて祖父のお見舞いに行きました。

このときは、おそらく大学に入学して始めて祖父に会ったのだと思います。

病室に入るとそこにいたのは、私が以前見ていた祖父の半分くらいしかない小さな祖父でした。

痩せて細くなっていたのは病気や手術の影響だったかもしれませんが、何より会わないうちにすごく老けたなと感じて、それだけ自分が会わなかったということを実感させられました。

小学生の頃、祖父の家に遊びに行くと、祖父は開口一番「あいさつは?」「聞こえない!」「もっと大きい声で!」と元気に大きな声で迫ってきました。

比較的声も大きくて、変なこともよく言う…そんな子どもの頃に見ていた祖父のイメージのまま病室に入りました。

いつものように「あいさつは?聞こえない!」と半ば脅迫気味に言われるのだろうなと思って構えていました。半ば久しぶりの対面で楽しみにしていたのかもしれません。

しかし、祖父はそんなことは一切言いませんでした。

お見舞いに来た人の顔を見て喜び、私に「〇〇(私の名前)が来てくれるから、また病気になろうかな」と言って、手をぎゅっと握ってきました。

そうまでして会いたいと思ってくれていることにすごく衝撃を受けましたし、弱弱しくなった祖父の姿を見て本当に「次はないかもしれない」「次に運ばれたらもういなくなってしまうかもしれない」と真剣に考えるようになりました。

 

社会人時代には妹の結婚式があり、そこで祖父に会いました。

当時、私は結婚式は挙げないと決めていました。お金もかかるし恥ずかしいし、やらなくてもいいやという感じでそれとなく今の主人とも話していました。

しかし、妹の結婚式で祖父が「孫の結婚式に出られるなんてありがたい」としきりに言っているのを聞いて、考えが一変しました。

結婚式は自分たちのために挙げるのではなく、来てくれる人のために挙げるものなんだ…「祖父が存命のうちに私の結婚式に参列して欲しい」そう思い、結婚式を挙げる派に転向しました(笑)。

主人は「挙げなくてもいいや~」と言っていた人が突然「挙げたい!」と言い出して不審だったと思います。

 

自分の結婚式のとき、新郎新婦が入場すると祖父は「出ました!」などと言ってやたらと大声を出し、他のお客さんの爆笑を誘っていました。

結婚式の祖父の印象は相当強く残ったようで、新郎側のゲストからも新婦のおじいちゃんが面白いと言われ、私の友人からは「おじいちゃんの影響なんだね~」なんて言われてなんのこっちゃと思いながらも穏やかな挙式披露宴になりました。

披露宴で新婦退場のエスコート役がありますが、私は迷わず祖父にお願いしました。挙式からずっとうるさかった祖父ですが、このおかげで静かになったようです(笑)。

エスコートなので祖父に先導してもらうはずが、私が先導しましたが、祖父は私の手をすごく手を強く握ってくれていました。

そんなことは私が赤ちゃんの頃以来だったかもしれません。

 

それまでなんだかんだ機会を作って祖父母に会いに行っていましたが、子どもが生まれると祖父の家に行くことが難しくなりました。

でも、どうにかひ孫を見せなくてはいけない…そんな義務感で従姉妹の力も借りて年に1回会う機会を捻出しました。

祖父のリハビリの施設に会いに行ったこともあります。

そのときは老化なのかわざとなのかわかりませんが、「あれは誰だ」「あいつは誰だ」と言って色んな人の名前を覚えておらず、そのたびに祖母が「〇〇だよ」と説明していました。

でも私のことは「誰だ」と言いませんでした。すごく驚きましたし、私は覚えていてくれているんだという安心感もありました。

 

そして従姉妹の結婚式。コロナの影響が始まっていましたが、結果的にこれが祖父に会う最後の機会になりました。

歩くことができずに車いすではありましたが比較的元気で、「名前は?」などと大きな声で子どもらに聞いていて、本来の祖父の姿を見たような気がしました。

これが最後かもしれないし、元気であってもコロナの影響で次にいつ会えるかわからないということで、私と子どもらと祖父母で写真を撮りました。

これが一緒に写った最後の写真になりました。大切な写真なので葬儀のときに飾ってもらいました。

 

私は子どものころから頑張れ頑張れ、お姉ちゃんなんだからと言われ続けたために、今でもどんなに頑張っても足りないと思えてしまう人種になってしまいましたが、そんな私に「〇〇はいつもがんばってるよね」と言ってくれる唯一の存在が祖父でした。

手紙に「〇〇はあれもこれもやってすごい、えらい」といつも書いてくれていました。

しかし私は日常の頑張れ頑張れに押されていっぱいいっぱいだったので、その祖父の声すらもプレッシャーになって、祖父に頑張ってるところを見せたい!これもできたって言いたい!とますます頑張るようになりました。

もしかしたら大学に進学したのも、就職したのも、結婚したのも、出産したのも祖父に言いたいからという面があったかもしれません。

頑張ることに疲れていた私の頑張りを祖父は早いときから認めてくれていたのに、それを自分でプレッシャーに変換してしまっていたのはもったいなかったと思います。

 

祖父の葬儀の連絡が来たとき、すぐにコロナで行けないと返信しました。

コロナが理由であることは本当ですが、祖父との思い出が多すぎてその場にいるのは耐えられないだろうな思いました。

実際、葬儀が終わってしばらく経ってもふいに思い出して涙が出てくる状況です。今となっては参列しなくてよかったと思える程です。

まだまだ気持ちの整理がつかないし、思い出せば涙が出ます。でも会いに行けるようになったら意を決して祖父に会いに行こうと思います。

その前に自分の心の整理も兼ねて文章にしてみました。

 

おじいちゃん、いつも私を応援してくれてありがとう。
ずっと大好きでした。